奈良県還暦ランナーのえすぷりです。
職場が変わり、新しい環境に馴染むのに時間がかかってしまいました。随分とご無沙汰の目安箱への投稿になります。
実は、目安箱2.0になってみんなの投稿がそろそろ減ったかな?というタイミングを狙ってました。
でもどのタイミングで投稿しようかと考えていましたら、「あおもり桜マラソン」の後に起きた東北の地震の報道、そして津波警報の報道を受けて、改めて心に留めていることが想起されたので投稿します。個人の想いも多分に含まれていることをご容赦ください。

2010年8月に教員の全国研修をつくば市で受けていました。200名を超える全国からの教員が集合しての研修です。参加者の中に宮城県のA先生がいました。研修は約1ヶ月もあったのですが、A先生とはいろんなことで意気投合でき、連絡先を交換して研修を終えました。
そして、あの日を迎えます。2011年3月11日の大震災です。A先生は気仙沼市の海沿いの家だったので、津波の被害は免れず、インフラが壊滅していたので、連絡も取れず、奈良県の私は心配しかできませんでした。その後の経緯は省略しますが、震災から1ヶ月後にA先生と連絡が取れ、当時はEメールでのやり取りをしていました。
私は「奈良の私が何かできることはないか」と何度も問いかけますが、A先生は「何もない」というのです。A先生は「復興は奈良県の人がするものではなく、私たちがやるものだ」「幸い、自衛隊やボランティアの人たちのおかげで生活はできるようになった」「義援金も受け取った」「今は世間の関心があるから、みんな気にしてくれているけど、あと半年もすれば忘れるから」「そこからが復興なんだ」「でもこの未曾有(みぞう)の震災の状況を見にこられませんか。見ればわかることも多いと思います」というのです。
震災から7ヶ月後の10月に、私は職場に1週間の休暇の許可をもらい、東北に一人で行くことにしました。現地での移動も考え、東北まで約1000kmを自家用車で行きました。東北の海は綺麗でした。海岸線に立つと潮(しお)の匂いは全くなく、砂埃(すなぼこり)の匂いしかしないのです。津波でアスファルトが剥がれ、道は全て砂利(じゃり)になっていました。陸側に目を向けると、瓦礫(がれき)は撤去され、広大な土地が広がっていました。本当に何もないのです。カメラのファインダー越しにこの惨状を記録しようと試みましたが、写した写真にはこの状況が記録できません。涙が止まらなかったです。この状況から、どう復興していくのか、その時を生きる者として見ておくべきだと決意しました。その後は年に1回は東北を訪問し、復興の様子を見てきました。東北みやぎ復興マラソンも全て走りました。毎回、東北に行くたびに「来てくれてありがとう」と言ってもらえます。その時は必ず、あの日に海岸線に立った時の情景が思い出され泣いてしまいます。
我々ランナーのできることは僅かですが、地震大国に生きる者として、少しでも被災地への思いを馳せて、いろんな大会にエントリーしたいと思います。
長文、すみません。
感謝感激カンレキーズでトマンナヨ!

奈良県 / esprit731

2026/04/22 9:52:25 午前 GMT+9

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